洪水の歴史

858 天安2年武蔵の国に大洪水あり。
1194 建久5年11月2日頼朝太田庄(現在吉川附近)の堤防を修埋し利根川沿岸の荒地を開墾。
1201 正治3年8月関東一帯大暴風雨、北暮地方大津波死者一千余人。
1337 正元2年2月5日尊氏一色大興寺入道範行に命し浦和の調神社を造営させ社額として五ケ村
を寄進す。
1540 天文9年8月武相地方に大暴風雨あり。
1592 天正20年利根川改修治水工事開始特に中条村の築堤川保村の会川開削など行なわる。
1614 慶長19年1月代官伊奈忠政北葛二合半領に条例を出して開墾を奨励す。
1632 寛永10年比企東辺の荒川大改修。北埼に流れていた河流をせき止め吉見領内で和田、吉野、
南川を合流させる。
1640 寛永17年庄内領小島庄左衛門は郡代伊奈忠次に計り関宿より宝珠花金杉に至る新水路を開
く。
1654 承慶3年6月川越藩主松半信綱の家臣安松金右衛門の設計監督の下に玉川上水完工次いで
野火止用水が引かる。
1717 享保2年7月関東一円大風雨あり洪水となる。北葛二合半領松伏領水害はなはだし、江戸幕
府は災民二千五百人を救助す。
1728 享保13年9月関東一円に大暴風雨あり各所に洪水起こる。
1732 享保17年4月関東一円大凶作米価暴騰餓死する者多し。
秩父の宮前佐右衛門穀物を放出して救助す。
1737 元文2年利根用大洪水。
1738 元文3年7月洪水。
1742 寛保2年8月関東一円暴風雨にて荒川、利根川はんらんし、かつてなき大洪水となる。
1749 寛延2年8月洪水、千住堤、利根川堤決壌。
1771 明和8年8月大洪水。
1772 安永元年8月関東奥羽地方に大暴風雨襲来、権現堂川の堤防ついに決壊す。
1780 安永9年利根川大洪水。
1782 天明2年6月供水の為代用水路砂埋多し、7月大地震。
1786 天明6年7月関東一円大洪水、利根川、荒川はんらん各所堤防決壊し特に粟橋、岩槻、羽
生、草加地区の被害甚大。
1791 寛政2年8月関東大風雨、諸河川大はんらんし荒川堤防決壊す。
1802 享和2年7月洪水。
1823 文政6年5月洪水の為熊谷堤決壊。
1833 天保4年8月開東一日大洪水となり農作物被害甚大米価高騰。
1846 弘化3年大洪水。
1859 安政6年7月武蔵大暴風雨。
熊谷堤決壊。
利根用、荒川、神流川大はんらんし堤防決壊人家流出人畜の死傷甚大。
1865 慶応元年6月洪水。
1869 明治2年9月大宮県を浦和県と改称県庁舎を浦和におく。
1881 明治14年見沼代用水路埼玉県直営許可さる。
1882 明治15年大暴風雨。
利根川、渡良瀬川はんらん、北埼川辺、利根の二村浸水。
1886 明治19年7月東京方面よりコレラ本県に侵入、9月に至りようやく終息す。
1890 明治23年8月県下一円長期にわたり、りん(霖)雨続きついに大水害。
1898 明治31年9月大洪水の為八間堤下、小林・栢間両村内大騒擾、憲兵出動。被害町村
316、死者16、堤防決壊農作物冠水腐蝕し被害甚大。
1907 明治40年8月県下大暴風雨襲来大洪水となり利根・荒川堤防決壊農作物被害甚大。
1910 明治43年8月連日の豪雨にて利根・荒川の堤防決壊大洪水となり被害甚大、死者224
名、家屋流水1621戸、橋梁の流出百、道路決壊200、山崩870ヶ所。
9月15日埼玉治水会創設さる。
1932 昭和7年11月中仙道戸田橋かけ替え工事完工式挙行。この年中瀬橋、治水橋いづれも完工。
1935 昭和10年9月洪氷の為水路堤防の被害甚大。
1938 昭和13年9月大雨続き荒川堤防決壊。
1948 昭和22年9月キヤスリン台風襲来空前の大洪水となり、利根川東村の堤防決壊のため大
浸水、美田一朝にして泥土と化し損害百億に及ぶ。
1949 昭和23年9月アイオン台風による洪水の為水路堤防の被害甚大。
1957 昭和33年8月台風17号和歌山県に上陸、本県農作物158800000円相当の被害、川口市芝
川がはんらん5000戸浸水、奥秩父でも650戸孤立、見沼用水決壊、戸田、大宮に自衛隊出動。

見沼通船堀「日本最古の閘門式運河」仲田一信著から

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